独立開業の経緯(4) 営業部(東京)へ異動

35歳の時、東京の営業部に異動となりました。大阪では国内営業一筋でしたが、東京では貿易業務があります。現在では船積書類を作ったり、L/Cを開設したりといった業務は、業務部署が一括して行うことが多いですが、当時は営業部がそれぞれ契約・船積み・配送まで手配します。L/C(信用状)やBL(船荷証券)などの本物は初めて見ました。

当時の上司は、イケイケどんどんの典型的なやり手課長で、海外案件もどんどんとってきます。あるメーカーが開発した商品を、「これはイケる。お前売れ!」と言って、世界一周して売りまわったこともあります。海外出張にほとんど行ったことがない私が、欧州や米国の一流企業に「これは日本製の画期的な商品です」などといってほとんど飛び込み営業をするので、かなり無茶な指示だと思います。それでも、何件か採用には至って、現在ではこの取引は終了していますが、何年か取引が続いたというのは、ほとんど奇跡じゃないかと思います。

当時インターネットが普及しだしたころです。この課長はWEBの力を見抜いて、「商品のポータルサイトを作れ」と私に指示します。WEBサイトなんて作り方もわからないけど、自分でHTMLの本を買って、簡単なサイトを作りました。しかしポータルサイトには会員登録機能が必要です。そこでベンダを探してきて、会員登録、商品登録、市況、通関統計が表示できるサイトを構築してもらいました。結局そのサイトでビジネスにつながったものはなく、サイトも閉じてしまいましたが、会社の宣伝にはなったと思います。

また、WEB受発注システムも作りました。後日書きますが、企業間受発注オンラインシステムは稼働していましたが、専用端末を設置する方法でした。しかしメーカーの合従連衡があり、その仕組みが使えなくなってしまいました。メーカーと検討し、新たなEDI(電子取引)を設定し、フォーマットも業界標準フォーマットにそろえることとなりました。取引先に入力してもらう発注端末は、新規設置するとコストがかかりますので、当時出始めたインターネットのブラウザから入力してもらうことにしました。企画してから半年で稼働に至ったのは、今からするとよくやったと思います。これも現在では取引自体が終了していて稼働していません。

この時期、営業部署の担当者でありながら、中規模システムをいくつか手がけました。ベンダの方には本当にお世話になりましたが、ユーザ部署でこれができたのは私に多少なりともITの経験があったからだと思います。普通の営業部署の人は、ベンダとの付き合い方がわからないから、たぶん無理でしょう。ユーザとベンダの間をつなぐ役割の人が必要だと、当時から思っていました。

投稿者プロフィール

小笠原 裕
小笠原 裕中小企業診断士 行政書士
バラの咲く街、八千代市緑が丘で、コンサルティング事務所を運営しています。