独立開業の経緯(6) 関係会社(マレーシア)へ異動

43歳で、マレーシアの関係会社に社長として異動しました。合弁相手は違いますが、同じ製造業です。本来であれば本社営業部に帰任するのでしょうが、買収したばかりの会社なので、製造業の経験者が必要だったのです。

始めて会社の社長となったわけですが、中国の時とは勝手が違いました。やはり組織のトップというのは、最終判断をする必要があり、精神的なプレッシャーが相当あります。特に買収したのは、相手が赤字で手放した会社なので、これを黒字化し、巡航速度に乗せなければなりません。従業員も引き継いだし、会社の仕組みはそのまま残っていて、いわゆる「居抜き」の買収です。

既存の顧客に加えて、新しい顧客を開拓する必要があります。稼働率を上げれば、黒字化する目処は立っていました。まだ若かったですし、社長自ら新規顧客に足を運び、いろいろ断られながらも、いくつか新規の仕事ができました。採算は厳しかったですが、やはり新しい仕事がとれるというのは、うれしいものです。10年も営業の仕事をやってきているので、契約がとれた時の喜びは、何物にも代えられないものです。

新規顧客をとるために、飛び込み営業のようなこともやりました。マレーシアには日本企業の商工会のようなものがあるので、そこに片っ端から電話をかけて、アポイントをとるわけです。さすがにこれは確率が低かったですが、楽しいものです。

マレーシアは、気候も一年を通じて温暖です。ときおりスコールがありますが、すぐ終わってしまいます。日本のように夏は暑く、冬は寒く、雨が降ると水害が起こるようなことはありません。食事も和・洋・中全部あるし、マレーシアならではの料理、たとえばナシゴレン(焼きめし)、ミーゴレン(焼きうどん)、チキンライスなど、安くておいしいものがたくさんあります。ジャングルや海などの自然も豊かで、とてもよい場所でした。家族一緒で、楽しむことができました。

マレーシアは、多文化・多言語・多宗教の国です。いろいろなものが混ざり合って、一つの国が形成されているユニークな国です。私は、アメリカ合衆国の縮小版だと思っています。国としては問題もあるのでしょうが、異文化を尊重するという意味では、先進的な国なのではないかと思います。

投稿者プロフィール

小笠原 裕
小笠原 裕中小企業診断士 行政書士
バラの咲く街、八千代市緑が丘で、コンサルティング事務所を運営しています。