独立開業の経緯(5) 関係会社(中国)へ異動

38歳の頃、関係会社に出向しました。場所は中国、日本のメーカーとの合弁会社で、製造業を営む会社です。製造・技術部門は合弁相手からの出向、営業・管理・物流はこちらからの出向です。

商社は物流取引の業務はありますが、製造の業務はありません。製造の業務プロセスや会計は、物流取引とは異なる点があります。販売計画・生産計画・仕入計画・材料入庫・製造指示・製造・製造結果・品質管理・製品在庫・出庫配送まで、一連の流れを把握する必要があります。また会計も製造原価を把握するために、直接製造費・間接製造費をそれぞれの製品に配賦し、個別原価管理を行う必要があります。

また商社の場合社員は事務系のみですが、製造業では現場の作業者が多く、シフトワーカーもいますので、労務管理が複雑です。製造責任も発生し、品質管理はとても重要な業務となります。

中国独特の行政対策も必要で、特に保税加工をする場合は税関との関係作りが欠かせません。また文化風習も言葉も異なります。中国人社員と胸襟を開いて話をするためには中国語の習得は必要だと思いました。通訳を通じて話すと、言葉の意味(特に専門語)が誤って伝わるし、通訳が意図的に言葉を変えることもあります。自分の身分を確保するためです。下手な中国語でも、現場社員と直接話す方が、実態もわかります。必死になって中国語を勉強して、2年目位からは通訳なしで仕事はこなせるようになりました。

お酒にも困りました。私は酒がダメなのですが、春節(旧正月)の前日には宴会があって、従業員が行列を作って日本人出向者の前に並んで乾杯をするのです。飲めないとも言えず、私は飲んではトイレに行って自分で戻し、飲んでは戻しを繰り返し、ボロボロになっていました。

異文化の中で、心が通じることもわかりました。結局、言葉が問題なのではなく、気持ちが通じれば仕事ができるのだと思います。後で書きますが、業務システムのリプレースを行った際に、技術部のある係長が非常に的確にシステム導入の準備を進めました。彼女は日本語は全くダメでしたが、技術の背景と計数管理の能力があることがわかり、仕事も早いので生産管理部長に抜擢したところ、あっという間に在庫レベルが適正化されました。相手を過度に信用すると裏切られますが、相手を見極めて、任せるところは任せるようにすると、人間は成長するものだ、とつくづく思ったものです。

投稿者プロフィール

小笠原 裕
小笠原 裕中小企業診断士 行政書士
バラの咲く街、八千代市緑が丘で、コンサルティング事務所を運営しています。