独立開業の経緯(8) 本社システム部署

47歳で本社に戻り、システム部署に異動となりました。営業部・関係会社と経験して、その間もいろいろシステム構築の仕事をしました。本社のシステム部署で仕事をしたいと思っていたところ、関係会社のIT支援をする部署ができて、私は是非やりたいと思ったのです。

それまでシステム構築は我流でやっていました。しかし本社システム部署では、プロジェクトマネジメントがしっかりしていて、要件定義・設計・開発・テスト・トレーニング・稼働・保守という一連の流れが、業務として確立しています。私はそれまで、「要件定義」という言葉すら知りませんでした。これはいかんと思い、必死でシステム開発の基礎を勉強しました。

関係会社では、いわゆる「一人情シス」が少なくありません。小規模の会社では、システム専門部署がないか、あっても担当者が一人しかおけない、ということが多いのです。かくいう私も社長兼システム部長のようなことをやってました。当然プロジェクトマネジメントのスキルは定着していないわけで、こういう関係会社をサポートするのが、私の仕事になったのです。

これは私の天職だと思いました。座学もしなければ、社長にお話しもできないので、中小企業診断士や行政書士の資格もとりました。またシステムに関する資格も、プロジェクトマネージャを筆頭に、情報セキュリティ、システム監査、さらにはネットワークの資格まで短期間でとりました。世の中のセオリーがわかっていないと、社長相手に話もできないと思ったからです。

システム部署には10年いました。その間、一貫して関係会社のIT支援に携われたのは、私にとって大きな財産になりました。ITプロジェクトを企画・実行しても、うまくいくケースの方が少ないと思います。これは世の中全般がそうなのでしょう。ユーザはやりたいことは一杯あるけどうまくベンダに伝えられないし、ベンダはそれを理解して提案ができない。その結果実際にシステムができあがってみると、思っていたのと違う、ということになります。結局、期待と成果をミートさせる必要があって、それにはある程度の知識と経験が必要なのです。

そのためには、プロマネ人材を育成する必要があります。案件を通して人は育ちますから、一緒に案件を対応しながら後進を育てる、ということが必要です。私の最後の3年間は、ひたすら人材育成に投入したように思います。特にリーダーが重要なのですが、皆さん立派に仕事をされています。本当によかったと思います。

投稿者プロフィール

小笠原 裕
小笠原 裕中小企業診断士 行政書士
バラの咲く街、八千代市緑が丘で、コンサルティング事務所を運営しています。