信長はなぜ葬られたのか

織田信長が、なぜ本能寺の変で殺されたのか、これまでの解釈は、明智光秀の信長に対する個人的な怨恨と解釈されています。今、大河ドラマ「麒麟がくる」が大詰めですね。この物語も、明智光秀の立場から織田信長を描いていますが、信長のあまりにも苛烈な性格が、周囲の離反を生んだという内容で、それも説得力があります。

この本では、海外情勢、特にポルトガルがスペインに合併され、イエズス会の立場が変わり、信長がキリスト教を阻害したことから、信長の躍進を支えたキリシタン大名、商人などの基盤を失って、政権が不安定になったと解釈しています。

戦国時代と江戸時代では、背景が大きく異なります。貿易が盛んで重商主義であった戦国時代から、鎖国して重農主義となった江戸時代では、背景が大きく違います。江戸時代の時代解釈では、信長の本当の姿がわからない、というわけです。

そうすると、明智光秀の単なる個人的な問題ではなく、海外列強諸国、朝廷、商人などの、織田信長を取り巻く多くの勢力が手を組んで、明智光秀をそそのかして謀殺せしめた、というのは、自然な見方とも思えます。

歴史の解釈というのは、深いものだと思いました。

投稿者プロフィール

小笠原 裕
小笠原 裕中小企業診断士 行政書士
バラの咲く街、八千代市緑が丘で、コンサルティング事務所を運営しています。