伊能忠敬の日本地図
伊能忠敬は、江戸時代の人で、実測値を元に精緻な日本地図を作った人です。佐原出身なので、現在の行政区分では、千葉県の人ということになります。伊能忠敬という名前は、小学校のころ、千葉県の偉人ということで、習った記憶があります。
それまでの日本地図は、実測図ではないので、地形が適当でした。しかし伊能忠敬の地図は、徹底して実測に拘っているため、とても正確です。測量には、間尺と天文観測によりました。地図が幕府に納められたのは1820年ですが、その後100年位は実用に使われたということですから、どれほど貴重な仕事だったことでしょう。
伊能忠敬が作成した日本地図は、大図、中図、小図と3種類あります。幕末か、あるいは戦後、なんらかの理由で海外に流出しましたが、著者の渡辺一郎氏は、アメリカで207枚の大図を、フランスで8枚の中図を発見しました。伊能忠敬の業績をここまで明らかにした業績はとても大きいと思います。
伊能忠敬は、50代までは商家で事業を行い、財をなしました。日本地図の作成に取り組んだのは、50代からです。20世紀にトロイの遺跡を発見した、シュリーマンという人がいますが、彼も50代まで事業を行なっていて、50代から、トロイの遺跡の発掘に乗り出しました。
さらには、著者の渡辺一郎さんも50代まで、NTTに勤めていたと書いてあり、伊能忠敬の研究に没頭するのは、退職後です。いずれもシニアが後世に残る活躍をしたということで、共通点があります。私も50代で独立開業しましたから、とても勇気づけられます。
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